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まさにスーパースター!RUN DMCを聴いてadidasを履こう!

こんにちは。

今日はいつもと毛色が違う記事でお送りします。
故きを温ねて新しきを知る。そう、温故知新ですね。音故知新。

みなさんご存知のRUN DMC!

 

Q.オールドスクールと言えば?

A.RUN DMC

ってなぐらい有名なグループだと思います。
メンバーは、ジョセフシモンズ(RUN)とダリル・マクダニエルズ(D.M.C.)、ジェイソン・ミゼル(JAM MASTER JAY)の3人。
80年代初期はオレンジ・クラッシュとして活動。82年にRun-D.M.C.へ改名し83年にDef Jamの創立者でRUNの兄であるラッセル・シモンズのプロデュースでシングル「It’s like that」でデビュー。

84年にファーストアルバム「Run D.M.C.」をリリース。このアルバムはミリオンヒットを記録し、ヒップホップのアルバムとして、初のゴールド・ディスクを獲得。

その勢いで85年に主演映画「クラッシュ・グルーブ」は、全米週間興行収入成績第2位を記録するヒット。いい波のってんね~
さらにさらに!セカンドアルバム「KING OF ROCK」をリリース。
ヒップホップ史上初となる100万枚セールスのプラチナアルバムを獲得した。


そして破竹の勢いで86年に歴史的名盤である「Raising Hell」をリリース。
一度は耳にしたことがあるエアロスミスのカバー曲「Walk This Way」(さんま御殿で流れてる曲でしっくり来る人も多いかも)他、「Peter Piper」、「It’s Tricky」、「My Adidas」など名曲が収録された伝説の作品。
200万枚セールスのマルチ・プラチナ・アルバムの獲得。

ちなみに「Walk This Way」はトラックのサンプリングをせず、エアロスミスを使う力技!しスティーヴン・タイラーとジョー・ペリーがレコーディングに参加した。

RUNDMCはなんといってもそのファッションが大きな影響を与えました。
それまでに活躍していたHIPHOPアーティスト達は、ぶっとんだ個性的なスタイルで活動していました。
Afrika Bambaataa & The Soulsonic Force


Grandmaster Flash and the Furious Five


Newcleus

 

そんな中RUN DMCはというと…
adidasのジャージに、デニムはLEE、スニーカーはadidasのスーパースターを紐なしで履き、STETSONやKANGOLのハット、CAZALのサングラス、ゴールドの極太ロープチェーンというカジュアルお兄さんで登場しました。

ただ最初からadidasって訳ではなかったようです。

グループを始めて2回目のショーに出る前、僕とRUN(ジョセフ“RUN”シモンズ)の2人がJAY(ジャム・マスター・ジェイ)を迎えに、彼の家まで行ったんだが、ドアを開けたJAYが黒いアディダスのジャケットにデニム、白ベースに黒の3本ストライプが入ったスーパースターを紐なしで履いてたんだよ。

そのとき、JAYは靴紐を首に巻いていたんだ。頭にはゴッドファーザーがかぶりそうな大きい黒い帽子。そのスタイルを見て、俺とRUNは「RUN-DMCのアウトフィットは、これで決まりだ!」って言い合ったんだ。JAYのおかげでRUN-DMCのスタイルが生まれたんだよ。
出典:GQ JAPAN

JAM MASTER JAYのおかげで”あの”ファッションが始まったんです。
ちなみに紐をつけてなかった理由は、

若い頃は新しいスニーカーを手に入れるのと、すごく嬉しい気分になるだろう?その喜びとスニーカーの新しさを一刻も早く人に見せたいから、靴紐をつける時間すらもったいないと思っていたんじゃないかな。
出典:GQ JAPAN

お茶目である。
僕も新品のスニーカーを履きたいけど紐を通す時間が無くて、紐をポケットに突っ込んで紐なしで和民に行った事があります。
会計の時に紐を通し始めて怒られました。迷惑ですね。

「My Adidas」に合わせ観客がアディダスのスニーカーを高々とあげる景色を見たアディダスは広告塔として100万ドルの契約を結びます。
スポーツ選手以外でスポンサー契約を結んだのも彼らが初でした。ヒップホップでアディダスが定番になった功績者ですね。
スーパースターがスポーツシューズであるスニーカーがファッションアイテムと認知されたきっかけのスニーカーになります。グレートだぜ。

アディダスのスニーカーを高々とあげる観客
1986

 

という訳で、今回は偉大なアーティストRUN DMCとadidasの話をダラダラ書いてみました。
僕は19歳くらいの頃、adidasのジャージ上下にRUN DMCのロゴが入ったコーチジャケットを着て、ノーブランドの黒いハット、CAZALっぽいサングラスをかけていました。
スニーカーはもちろん金ベロのスーパースターです。紐はしてましたけどね。

今回の記事を書いていてすごく懐かしく、少し恥ずかしい気持ちになりました。
またこういった記事を書いていきたいと思います。

これからはadidasのスニーカーを履いた時に言いましょう。
「My Adidas」

では、また。

 

 

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